怠け者の雑記帳

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雑記-異世界転生-

「言葉」にいろんな意味がある。それは言葉が示す「概念」にいろんな意味があるからである。そのうちの一つ「異世界転生」についての話をしよう。

 

異世界転生。昨今では使い古されたネタだが今なお人気を誇るジャンルである。チートをもらって無双する、ハーレムを作るというテンプレからチートなしで召喚された場所全てが敵のハードモード、果ては人外への転生であったり多岐にわたる。多様な広がりを見せるこのジャンルには共通項が存在する。それは前世の要素が重要なファクターとして存在していることである。「転生」である以上当たり前だろう、という意見はごもっともであるが少し付き合ってほしい。

 

どの作品においても「前世」というものは必ず絡んでくる。記憶をなくしている場合でもその記憶を辿る事が目的となっていたり、辿らず記憶を放棄したとしても前世の「自我」が行動指針となっている(記憶がない自我は果たして前世といえるのかという問題点はおいておく(自分は前世がありソレを自覚しているなら前世の自我と表現する)。

 

前世を自覚していることのメリットとして、前世の知識を活用し異世界を生き抜く、楽に生きる、前世がある故の精神性をもって物事にあたる、ということが挙げられる。他人にはない「前世」という武器を用いて生きていく。これによりただ人よりもほんの少し/大幅に有利な状況を作り続けることができ、作品の主軸としてふさわしい冒険譚を形作っていくのだろう。

 

しかし、「前世」を武器と考える前に前世とはある種の呪いなんじゃないか、と考えられる。「前世」があるからこそ只人から外れた道を歩むことになる、記憶があるからこそ異世界の火種となる、その精神性により異世界を「異世界」と認識し「自分の世界」と認識できず、現実と乖離し首をかしげるような展開が起きる。これらは割と避けられる概念(これを扱う作品もあるし整合性が取れているものもある)だ。何かしらの大事が起きてこその異世界転生ものなのに否定から入ったら物語として成り立たなくなる場合が多いからである。前世があることを否定はしていない。しかし前世ありきの作品が増えるのであれば。このようなアンチテーゼ作品がもっと世に出てほしいなと思う。

 

ではなぜこれほどの人気があるのだろうか。チートを使ってハーレムを作るチーレムがすごい、ゲームみたいで楽しそう、共感しやすい、手っ取り早く非日常が作れる、理由は様々あるが、個人的には「人間の生への渇望」にあると考えている。

 

「前世」を持つことで「死んだ」人間がその続きを生きることができる。死んだら終わりという概念を覆すことなく超越することができているわけだ。死を無意識に遠ざける人間という種はどこまでも死を乗り越える、「自己の存続」を願っているからこそ異世界転生は流行っているのだと思う。自らの死が来たとき。今を観測しているこの意識は、どうなるのだろうか。輪廻をめぐるのか、天国と地獄の天秤にかけられるのか、それとも無に消えるのか。その解答の一つとして「異世界に転生する」という選択肢を提示されていると考えるのは突拍子のないことではないと思う。